なぜ今更?

やあ、みんな。初めまして。

 

天に名高くない厚木霊夢だ。

 

[本]がついているが、読んでも読まなくても関係ない。

小田急小田原線本厚木駅とは大いに関係がある(15年くらい最寄り駅だった)のだが、それは無視してかまわない。

 

さて。

 

ここ最近の私は

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ちなみにプリコネはやってない。名前しか知らない。

 

それはさておき。

 

6年越しにひなビタにどハマりする案件を起こしました。

 

 

 

私がひなビタと出会ったのは6年前でした。

 

どこで話題になっていたか、私は「めうめうぺったんたん!!」という曲を知りました。

当時よりリフレクを嗜んでいた私は、この曲について「選曲難易度10」といった文字列を観測することとなりました。

 

それが始まりでした。

 

さて、この6年間。

 

ひなビタにほとんど興味を持ちませんでした。

 

音ゲーをやっても、実際にプレーした曲はめうめうと撫子メタルりんりん先生とちくパと凜花、あとメイドランチ、そしてフラッター現象

 

???????????????????

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あまりにも聞かなさすぎる。むしろちょいちょいりんりん先生の曲を拾っていたのが奇跡なくらいだ。

現に、恥ずかしいことに私は2019年3月か4月まで、「山形まり花」「和泉一舞」「春日咲子」この3人の名前を知らなかった。

 

ちなみにここなつのほうが曲も名前も知っていた。後にボルテオタクとなったからだろう。

 

 

で、6年越しに、ひなビタにハマってからの沼への急転直下ぶりは半端ではなかった。

大型連休には倉吉に行き、そしてライブにも参戦した。

 

今までの時間を、埋めるように。

 

そう、あのころ私は中学生だった。

いまは社会人。

 

あまりにも長すぎる、空虚な時間。

 

だが、幸いにも金と行動力はある。職業柄、時間はないが。

 

ならば。

 

私は、

音ゲーに青春を捧げてしまってから7年経った私は、

既に音ゲーこそが人生の一部となってしまった私は、

 

この先の人生を、できる限りこの少女達の物語に、捧げることは出来ないだろうか。

 

そう考えたのである。

 

こうして、私とひなビタは、6年の時を経て出会うこととなった。

 

ちなみに、厚木霊夢という人間は、何かにハマると、ある特殊な習性をみせる。

 

『妄想という名の怪文書を垂れ流しまくる』

 

このブログは、そんなひなビタ怪文書のたまり場となる予定である。

 

ちなみに鉄道も好きだからその怪文書もかくかもしれないねー